発達障害だと気付かず生徒会長になった私
「あーあ、投票しなきゃよかった。」
みなさんこんにちは。Maximiyaです。
短い期間にいっぱい書き過ぎだって?
...早く過去編書かないと今の話に行けないんですよ(´・ω・`)
さて今回は生徒会長時代のお話の続きです。
会長に当選したのが中学二年生ですから、もう3年前ですか...。
前々回の記事の続きになるので、読んでない方は先にそちらをどうぞ。
1.1mmも知らない生徒会長、爆誕
選挙本番でスタンドからマイクを取り、先生の許可を得ていない裏原稿を熱弁した私。
生徒会長に当選したという連絡が来て、放課後に当選者3人が集められました。
「これから1年間生徒会活動を任せることになるわけだけど...」
学年主任の先生と私のクラスの担任の先生が白い目で私を見てきます。
生徒会としての活動は現生徒会の方々が引退されるまで無いけど、
これからの話や前もってしておく事などを話し合う会議だったはずですが、
クラス担任が居合わせるのは私が当選してしまったからでしょう。
それもそのはず。私は成績がどん底だったのです。
忘れ物や遅刻の常習犯として名が知れ渡り、授業中も手を上げずに答えを言ってしまう。
先輩だろうが後輩だろうが、職員室で怒られている私を見た人は数えきれません。
そんな私が生徒会長になってしまったのです。
きっと面白半分で票を入れた人が多かったのでしょう。
私は学級委員の経験が無く、委員会にもあまり入らず...
演説の通り、本当に何も生徒会がしている事を知りませんでした。
こうして、人望も経験もカリスマ性も学力も無い生徒会長が生まれました。
2.(すみませんまだできてなくて...)⁴
私の失敗の中で最も多かったのが、原稿の未提出です。
「○日にスピーチあるから明後日までに原稿持って来い。」
「わかりました。」
「すみません先生...えっと..まだできてなくて..」
「だろうな。明日の朝必ず持って来い」
「はい!」
「えっと..あの..」
「できてるとこまで見せてみろ」
「すみません...まだ...」
「...今日残ってやってけ。絶対帰るなよ」
「はい!」
「...帰るなって言ったよな?」
「...家にノートがありまして..」
「放課後生徒会室に居ろ。俺も行く。」
「はい...。」
生徒会室で原稿を書き終えるも、先生が見当たらないので明日の朝出すことに。
靴箱を出て校門へ向かおうとしたときに...呼び止められました。
「なに帰ろうとしてんだよ、おい」
「いやっあの原稿は出来てて..」
急いでバッグからノートを出して差し出すと、
パァン!と目の前で吹き飛ぶノート。
先生が弾き飛ばしたノートはバラバラになってしまいました。
先生はボクシングをやってたんですね。
今でもあのノートはテープでつなぎ止めて残っています。
こんな感じのことを1年間繰り返し続けました。
私だけぎりぎりの時間まで残らされて生徒会活動について勉強したこと
事務局員の女子を問い詰めて泣かせてしまったこと
わざわざ下校の時間に外に出され帰る生徒たちの前で晒し者のように怒られたこと
原稿と違うことをスピーチでしゃべってしまい全校生徒にどん引かれたこと
母親が学校に呼ばれて大号泣して帰ってきたこと
馬鹿にされ笑われ票入れなきゃよかったと先輩から言われ続けたこと
仕事のため生徒会室に走って向かっている時に先輩に足をかけられて転び前歯を折ったこと
根性叩き直してやると先生が通うボクシングジムに連れて行かれて地獄のようなメニューをしたこと
あまりのストレスに学校を休んだとき担任の先生が家に来てくれたこと
生徒会長最後の仕事体育祭のスピーチで自分が書いた原稿を捨てられ先生が書いた原稿を読まされたこと
毎年恒例会長スピーチのアンコールを応援団がやってくれてしゃべり始めようとしたとき先生に止められたくさんのブーイングの中壇上を降りたこと
その後の教頭先生のお話しのときあまりに悔しくて全校生徒+保護者の前で泣いたこと
卒業式の答辞を副会長が読んだこと
これらでもまだ一部ですが、だいたいこんな思い出を全て抱えたまま、私は中学校を卒業しました。
3.副会長は県内トップ校へ、私は県内ワースト2位の私立へ。
私は成績も出席日数も酷く、受験勉強もうまくいかず親と対立し、
結局県内ワースト2位の学校へ電車で通うことになりました。
私の中学からは私一人だけ。ひとりぼっちの高校デビューでした。
手を上げずに発表していく授業スタイルは私にとって快適で、
授業スピードが遅くて分かりやすく、なんとも素晴らしい場所でした。
でも、一つだけ心残りがありました。
中学時代の、悔しすぎる一年間。
私がやっと生徒会の仕事に慣れたのは、最後の2か月だけだったのです。
仲間たちと話し合い企画を創り上げていく素晴らしさに気づき、心が少し救われました。
それなのに、応援団のアンコールに答えられなかった苦い記憶。
どうにか、リベンジを果たしたい。
でもそんなこと許されない。もうあんなに迷惑をかけることはあってはならない。
そう自分を抑え込んでいく傍ら、私は気づくと、高校の生徒会規約を全て覚えていました。
「副会長なら...もう一度..私には1年間の経験がある!」
リベンジの炎を爆発させた私は、生徒会副会長に立候補しようとしました。
「先生。私、副会長に立候補します。」
「...○○先生から話をもらっている。お前がどんな生徒会長であったか。」
「でも私は..!」
「いつまで迷惑をかけるつもりだ?」
私が高校に進学した後、学年主任の先生から連絡があったそうです。
職員室を出てトイレに直行。個室で泣きました。
口を押えながら、周りに嗚咽が聞こえないように。
悲しくて、信じられなくて、自分が許せなくて。
初めてチェック一回で原稿が通った時、先生は「できるようになったな」そう褒めてくれました。
卒業のとき、「今までよく頑張ったな」「高校でも頑張れよ」そう言ってくれました。
なぜ先生はリベンジに挑戦する機会すら与えてくれなかったのだろう。
あれだけ迷惑をかけて今更裏原稿なんて使うはずないのに。
ああ、まだ私は迷惑をかけるつもりでいる...。
ここで最後です。生徒会のメンバーや先生たちとは連絡を取れていません。
発達障害と気づかずかけてきた迷惑の数々をこうやって書き留めて、忘れないようにしていきます。
「実は発達障害でした。あの時は本当にごめんなさい」なんて言えば、
「発達障害だったからあれ全部しょうがないことだったんですよ。許してください。」
そう聞こえてしまうはずです。ただ純粋に謝りたくても。
だから私は3DCGで有名になって、沢山のメディアに名前が載って、
その活躍を見せることが、唯一の方法だと思っています。
私は絶対に有名になってみせる。
世界でたった一人の、障害を持った高校生3DCGアーティストとして。